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蒲郡大会レポート

 

2002年ITUワールドカップ蒲郡大会(2002.6.9)

 

 先月の石垣島大会に続き、この蒲郡は ITUワールドカップシリーズということで、アテネオリンピックを目指す世界の強豪選手が大勢集まった。僕にとって地元のレースであるというだけではなく、大変思い入れの強い大会(1995年:51.5km初出場、1997年W杯初参戦)であり、絶対に結果を出さなければという気持ちで大会に臨んだ。

 大会の週に入って、かなりの疲労が出ていたため、少し不安な面もあったが、大会当日には必ず絶好調になると強く信じ、前日の調整練習でもバイク・ランともに良い動きができていたので、なんとか間に合った、という安堵感があった。

 大会前日、地元のワールドカップ代表選手ということで、ニデックの枇杷田選手と僕が選手宣誓を指名される。大会前日からかなり緊張しまくり〜!競技説明会はもちろんすべて英語。必死に耳を傾けるが、半分くらいしか理解できない・・・。いつもながら自分の英語力の無さを痛感する。説明会終了後、スイムドローが行われる。スタート位置は有力選手が右端から順番に選んでいたため、自分も右よりをとるつもりでいたが、結局ランキング順でポンゥーンのちょうど真中あたりを選ぶことになった。となりはテイケイの小原さんとリー・チー・ウー(HKG)だったのでスイムの力からいけば、頭一つ抜け出すことができると考え、石垣島同様、最初のブイまで全力で泳ぎ、いかに集団の前方に位置をとるかが勝負の分かれ目になると予想した。

 大会当日、女子のレースが先に行われるので、今回もアップをしながら、女子のレースを観戦。またもやロレッタ、ハケット、バーバラ、タオルミナに、昨年の優勝者ローラ・レバック(米)の5人が逃げる逃げる!日本人はスイムで出遅れたのか、第2集団で忽那さんが1人で頑張っている。中西、下村、庭田さんが第3集団、関根さんは第4集団と苦しい展開。

 コースはは競艇場を2周回のスイム、7周回のバイク、3周回のランと全て競艇場内を通過するまさに見せるためのコース設定がされている。競艇場の巨大スクリーンにはレースがライブ中継されており、観客はスタンドで全ての競技を観戦できるようになっており、スポーツDJの実況中継がレースを盛上げている。解説は白戸太郎さん。当日の天候は暑さと強風により、サバイバルレースが予想された。

 いよいよレースが始まる。レースナンバー順に選手が入場。スタンドからは大声援!アドレナリンが大量に放出される。スターター(審判長)は親父!?

 スタートはまずまずのタイミングで飛び込み、予想どうり頭一つ抜け出すことに成功したが、第1ブイ付近でイン側の有力選手、またアウトがわのスイム得意の日本の若手が引っ張る集団によって、ちょうど挟まれてしまう。一つ目のブイを曲がってから後続に沈められそうになり、必死に抵抗するが、第2ブイを回った時にはかなり後方に追いやられてしまった。後ろを確認すると、ほとんど選手がいない状態で、かなりあせる。しかし、こんなことは今までに多々あったこと。ここで終わるわけにはいかないと体勢を立て直しつつ、周りを再度確認。イン側が比較的空いているのを見つけ、前の選手を利用しながら、少しづつ前へ前へと出て行く。1周目を終え、2周目に移るために一度ポントゥーンに上陸した時、まずまずの位置(集団中盤?)まで上がってこれたことを確認する。あとはこの位置をキープしつつ、すきあらば、前の選手を抜かし、バイクへとうまくつなげることを考えながら泳いだ。ラストの直線で、もう一度スパートをかけ、先頭が見える位置でスイムフィニッシュ。すぐ前には福井がいる。

 トンランジションはあせらずバイクスタートすることができ、バイクに入るとすぐに集団となるが、ペースはかなり速い。一列棒状の状態で前に逃げている選手を追う体勢にはいっていた。前回の石垣島ではかなり余裕をもってバイクパートをこなせることができたが、今回はトランジションから、かなりの高心拍がなかなか下がらず、ペダルをこぐ力が思ったように入らない。コーナーの立ち上がりの度のアタックに最後尾でついているのが精一杯で、 非常に危険な状況。「ここで切れたら終わりだ」「絶対あとで楽になるから」と何度も自分に言い聞かせ、前の選手に必死に食らいつく。前の逃げていた4人の集団を吸収すると集団のペースは一応落ち着きを見せた。ようやく少し余裕が出てきたので、危険な最後尾の位置から少しづつ前のポジションに移動する。この時点で第1集団は20人ほどで、日本人は福井・平野・自分の3人だったので、このままラン勝負に持ち込めば、日本人トップはとれると思った矢先、後ろの集団が合流、さらに40人ほどの大集団へと変化する。 また石垣島と同じ展開か、と軽いショックを受けるが、最後まであきらめず、ラン勝負に備えるため、少しでもランに余力を残して移れるよう、集団の位置どりを考えながら、ラップを重ねた。

 最終周、前回の大会ではトランジションに入ったのが最後尾だったので、今回は前にいくぞと決めていた。ラスト抜け出す機会をうかがっていたものの、やはりまわりも同じことを考えているだけあって、結果的には集団の真ん中あたりでバイクフィニッシュ。ランへと移る。ランスタートしてみてまず、体の疲労感をチェックするが、バイク序盤の影響か、呼吸・筋肉の疲労ともにかなり苦しい。前の選手についていくこともできず、はやく自分の走りのリズムを取り戻すことを考えて、頭の中で歌(ルパン3世のテーマ)を歌いながら、ピッチを整える。

 エイドステーションでは、水を飲むのはもちろん、首の後ろ、両腿に水をかけ、オーバーヒートした筋肉を冷やし、体温を下げるよう努力する。前をいく選手との差はなかなか詰まらないが、折り返しで前をいく選手もかなり疲労しているのを確認し、一つでも順位を上げられるよう、自分の身体に鞭を入れる。日本人では前に、福井・小原・山本(淳)がおり、1人でも抜かしたいと思うが、どうにも身体が動かない。応援してくれる人たちの顔を見ることもできない。結局総合26位(日本人4位)でゴールする。フィニッシュしても達成感はなく、悔しさがこみ上げてきた。

 調子自体、自分では良いと信じ込むようにしてはいたが、うまくコンディションを整えることができたかったのが原因と考えられる。前回良かったからといって、同じ調整方法をとったとしても、そのときのコンディションは同じであるということは、同じ人間であったとしても絶対にないため、その時その時のベストの選択をしていかなければならないと強く感じた。非常に難しいが、それは数多くの経験を積み重ねてこと体得できるものであると思う。今回の結果も良い経験として、次につなげなければ意味がないので、反省するべきところはしっかしと反省したい。大変多くの方たちの応援を受け、ぜひとも結果が欲しい大会ではあったが、この悔しさをばねに更に成長していきたいと思う。

 


   


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