トライアスロンを通じて、豊かで健康なライフスタイルを!株式会社トライアーティスト公式サイトです。
 トライアスロンについての役立つ情報を提供。各種イベントも企画しています!

|   ホーム   |   会社案内  |  代表プロフィール |   鉄平NEWS  |   鉄平文庫   |  ウェットスーツ  |    リンク    |   お問合せ  | 

アジア選手権 中国徐州大会レポート

 

ASTCアジアトライアスロン選手権 中国徐州大会(2002.9.8)

 

 今回のアジア選手権徐州大会は、世界選手権への出場をかけた今シーズンの中盤戦のもっとも重要なレースであり、絶対に外すことができないレースとして、このレースに合わせて調整を行ってきた。世界選手権に出場するためには、地域別選手権でTOP3に入るか、大会2週間前の時点のワールドランキングが50位以内にいなければいけない。自分はランキングでは60番台と微妙な位置にいるため、今大会でなんとしてでも上位に入り、出場を決め、余裕をもって世界選手権に調整できればと考えていた。

 成田空港に木曜日の朝集合のため、水曜日に愛知を出発し、その日は成田に一泊し なければいけない。その日の夕食は、今回ナショナルチームのマネジャーで帯同する愛知の鈴木キリヨさんと、千葉県トライアスロン連合の理事長さんとの幕張大会の打ち合わせにくっついていき、タイ料理屋でご馳走になる。おいしかった!

 そして木曜日に日本を発った。北京までのフライトは約3時間。中国はそれほど遠い国ではないなと思っていたが、そこからが大変であった。まず北京から国内線に乗り換え、南京まで1時間半、そしてそこからはバスでの移動となる。当初は大会が行われる徐州までは200kmぐらいだから3時間ほどで着くだろうといっていたのが、実際は400km近くもあり、5時間近くもバスに揺られて、ホテルに着いた時には すでに日付が変わっていた。途中、ドライブインらしきところで夕食をとったが、なんともまず く、食べられなかった。ホテルでチェックインをすませ、その日はすぐに寝た。

 次の朝(金曜日)、朝飯前に同室のジュニアの伊藤君(小金井工業高校)と軽くJogをする。思ったより体は動いたので一安心。流しを数本行い、刺激を入れる。やはり中国、自転車が朝から一杯走っている。そして、ホテルの食事はまたしても口に合わず。想像していた本場の中華料理と大きな隔たりが。日本からレトルトの食品を持って来るべきだったが、用意していなかったのが悔やまれる。もちろんコンビニなんてものもなく、食事には最後まで悩まされることになる。

 そして、午前中にバイクコースを試走。途中凸凹した石畳を一部含んだ8kmを5周回、そんなに難しいコースではない。午後はスイム会場となる人工の湖でスイム練習。水質はかなり悪い。時々、鯉のような大きな魚がはねている。なんと、はねた魚が東野君(府立河南高)の頭を直撃!ここまでは、初めての中国で、レースを楽しめそうだなと結構リラックスムードだった。

 しかし、その日の夜からコンディションがおかしくなってきた。まず、下痢から始まり、その後体がだるくなってきたのだ。水はミネラルウォーターしか飲んでいなかったので、水に中ったとは思えなかったが、何か食事でまずいものでも食べたのだろうか?たしか昨年、徐州大会に出た 日本人選手も食中毒で大変だったと聞いた覚えがあった。

 次の日(土曜日)になると本格的に体が熱っぽくなって、関節が痛くなってきた。これはまずいと思ったが、もはや時すでに遅し。土曜日は1日ベットの上から動けなかった。少しは体を動かさなくてはと思い、外に出てJogをしてみるが、腹痛と熱で、とても走れる状態ではなく、歩いて帰ってきた。悔しいいやら情けないやら、明日のレースのことを考えると不安になってきてしまった。しかし、なんとかして少しでも良いコンディションでレースに臨めるようその日は、スタッフに薬をもらいすぐに寝る。

 そして次の朝起きてみると、体のだるさはおさまっており、なんとかレースが出来そうなぐらいまで回復していた。とりあえず一安心。レースのスタートは8:00と早かったので、4:30には起床し、食事をとる。日本から持ってきた食料はせんべいとウィダーゼリーしかなかったので、伊藤君から白飯と おもちをわけてもらう。Thank You!

 レース会場に向かうとすでにコースには人垣が出来始めていた。あとで聞いた話だが、観戦チケットを買った人だけで10万人いるらしい。はんぱな数の観客ではない。コースを切れ目なく何重にも人が取り囲んでいる。コースは完全交通規制で、5mおきくらいに警官がガードに立っている。日本では考えられない重警備だ。そうでもしないと、コースに観客が溢れてしまうのである。実際ジュニアのレースでは選手を一目見ようとして出てきた観客によって道をふさがれてしまい大変だったらしい。

 レース前、競技役員がなにやら中国語でまくしたてているが、さっぱり理解できない。レースはほぼ定刻どおりにスタート。スタートは岸から2列のダイブスタートだった。自分は前列のインコースよりで、隣にはドミトリー・ガーグ(KAZ)とリーチーウー(HNG)だった。スタートしてすぐさま2列目の中国人の選手が後ろから襲いかかってきた。このバトルでインコースにいたほとんどの日本人が出遅れてしまう。 なんとか2周回のスイムを終え、トップの平野選手と30秒差でフィニッシュ、すぐに先頭集団が形成される。

 集団には、日本人全員とガーグを初めとするカザフ勢が4人ほど、中国人が3人ほどの15人くらいの選手がいる。最初の2,3周はお互いに牽制し合い、まったくペースがあがらなかった。途中でウクライナの選手と山本(良)選手が集団からエスケープする。後続の集団では、様々な思惑が錯綜し、日本チームとしては、ランの得意なガーグやリーチーウーの足を使わせるため、あえて前を引かない作戦にでる。次第にその差は広がり、バイクフィニッシュ時には逃げた2人との差は2分にまで広がっていた。その作戦は一面では成功したが、もう一方では大きな誤算だった。

 ランが走れないと予想していたウクライナの新鋭、ダニロ・サプノフがそのまま逃げ切ってしまったのだ。サプノフは七ヶ浜大会12位のまったくノーマークの選手だった。後続の集団は一斉にランスタートすると、すぐに西内、ガーグ、リーチーウーが飛び出す。その後をカザフ若手2人(スムロフ、クズネツォフ)が続き、自分はそれを追う展開だった。他の日本人選手はランで大きく遅れてしまう。

 結局ガーグとのサイドバイサイドの勝負を制した西内選手が総合2位(アジア選手権優勝)、その10秒後にガーグがはいった。自分はクズネツォフを射程距離圏内に捉えながらも、後半の追い上げがきかず、総合7位でフィニッシュ。あと一歩のところで世界選手権の枠(ロールダウンにより6位まで)を逃す結果になった。フィニッシュしたあとは脱水症状からふらふらになってしまい、救護テントで点滴を受ける。

 入賞が1人であった男子とは対照的に女子は優勝の関根さんをはじめ、4人が入賞。ジュニア男子は細田君(徳島県協会)が優勝。ジュニア女子は1位から3位までを独占で、エリート男子の不調が目立った。アジアと言えども簡単には勝たせてもらえないレベルに上がってきているのは確かだが、自分を含め今回悔しい思いをした男子陣は今後の健闘を誓い合った。

 閉会式はテレビ局のスタジオで行われ、次から次へと演歌歌手や、全身タイツ姿のジャニーズもどきや、少林寺や、おばさんのエアロビやら、ちびっこダンサーやらが、歌うわ踊るわで結構盛り上がっていた。中国のわけのわからんパワーに圧倒されました。

 そして次の日、徐州を後に・・・。帰りは北京で一泊だったため、愛知県協会の吉田さんの息子さん(北京の大学に留学中)の案内で本場の北京ダックを食すことができ、一同大満足でした。

 今回のレース、調整がうまくいっていただけに、レース直前で体調を崩してしまったことは残念だった。いろいろな人から注意は受けていたものの、まさか自分がなるとは思っておらず甘く見ていた点は反省しなければいけない。やはりアジアのレースは何があるか分からないので、前もってできるかぎりの準備(薬・食品)をしておく必要があると思った。この経験を来年のアジア選手権(インド)に生かせるようにしたい。


   


ご意見・ご要望・不具合等ありましたら、メールでお知らせください。

triartist@asutama.com

 Copyright(c)2002-2017 株式会社トライアーティスト