12月に南国パラオ共和国で開催されるトライアスロン。そこでデビューを目指すプロジェクト「パラオチャレンジ」のコーチをルミナから依頼され、帯同することになった。パラオについて何も知識がなかったので、ネットで調べてみると、スペイン、ドイツの植民地時代、日本の委任統治時代、第2次世界大戦後はアメリカの信託統治時代を経て独立と、非常に興味深い歴史を持つ国だということがわかり、自分の目でその文化や景観を確かめたくなった。
セントレア(中部新国際空港)からグアム経由で約12時間。着いたのは夜中であったため、町は静まりかえっていたが、どうしても空腹に耐えられず、パンフレットで見つけた別のホテルのバーにタクシーで向かう。現地のタクシーの運転手は、流ちょうな日本を話す。30年間の日本統治時代、日本語の教育が行われたため、今でもお年寄りの多くは日本語が話せるそうで、戦中、戦後と様々な形でインフラ整備、援助を行ってきた日本人に対し、現地の人は概ね好意的な印象を受けた(※1)。
翌日の朝、ホテルの目の前のスイム会場となるビーチに出てみて感動。まさに南国の楽園といった雰囲気。午前中はパラオチャレンジのオープンウォータースイム練習の講師と、バイクコースの試走サポートを務めた。バイクコースは初めの10kmはパラオ市内の目抜き通りを走り抜け、途中、日本のODAで作られた大きな橋(※2)を越えると後半10kmは緩やかなアップダウンが連続する景色を楽しめるワンウェイ往復コース。
今回、めったに台風がこないパラオに20年ぶりに大型の台風が来るとのことで、大会前日の市内は、接近中の台風に備える現地の人たちの車で大渋滞していた。午後からの競技説明会で、レースの開催も微妙な状況であるが、2日間にわたって予定されていたトライアスロン、OWS、自転車レースをすべて土曜日の午前中で終えるという凝縮スケジュールに変更して開催することが決まったとの説明があり、ほっと一安心。ただ、バイクコースは交通規制をしないとのことで、一抹の不安もあった。
レース当日、早朝6時スタート。台風の影響もなく穏やかで波のない透明度の高い海に向かってトライアスロン、OWS合わせて約100名が一斉にスタート。サンゴ礁に色とりどりの熱帯魚の群れ。この海で泳げただけでもパラオに来た価値はあると思う。パラオチャレンジの皆さんを応援しつつ、のんびりとスイムフィニッシュ。十二分にパラオの海を堪能できた。
バイクラックは特に場所も決まっておらず、高さもまちまちで何とも手作り感がある。バイクは市内を抜けると、路面状況もよくなり、非常に気持ちよく走れるため、ついついバイクを駆るスピードも上がる。折り返してくる選手に声を掛けつつ、南国の空気を胸いっぱいに吸い込む。ランに入ると、気温は30度を越えてきた。容赦のないアップダウンがじりじりと体力を奪ってくる。決して初心者向けとはいえないタフコースだ。先頭でフィニッシュして、帰ってくる選手を迎える。皆さん、チャレンジを終えて、さわやかな笑顔。やはり南の島はトライアスロンがよく似合う。
今回は、台風が接近する中のレースということで、スケジュールの変更を余儀なくされ、運営も大変だったと思うが、危惧していた通り、車と接触した選手もいた。現地のトライアスロンへの理解もまだ十分とは言えない。しかし、現地の運営スタッフの熱意は十分伝わってきたし、トライアスロンを通じてパラオと日本の友好を深めようという試みは非常に素晴らしいと感じた。オリンピックディスタンスと併設して、スプリントディスタンスも開催されており、そちらには現地の人たちが主に参加していた。今後もこの島にトライアスロンが根付き、日本との友好関係が更に深まることを祈りたい。
(※1)パラオにある唯一の公立高校では、1964年から選択科目として日本語を取り入れている。さらに、アンガウル州では州の公用語の一つとして採用されている。
(※2)正式名称は、「日本・パラオ友好の橋」。当初韓国企業によって建設されたが1996年に崩落する大事故を起こしている。
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